こんにちは、knowledge pitへようこそ!
「古都奈良の文化財」の中で、奈良の玄関口である近鉄奈良駅を降りてすぐのところに広がるのが興福寺です。
寺院を囲む塀などもほとんどないため、由緒正しい寺の静まり返っているというよりは多くの観光客や鹿たちでいつも賑やかな様子です。
しかし、開放的な雰囲気の興福寺ですが、実際には多くの貴重な建造物や仏像が沢山あります。
そして、仏像ファンに大人気のアイドルが待っているのです…!
今回は、そんな興福寺の見どころをご紹介していきます。
興福寺について
興福寺は奈良時代以降に絶大なる権力を誇った藤原氏ゆかりのお寺です。
元々は、大化の改新で有名な藤原鎌足の夫人が「鎌足の病気が治りますように」と祈願して、
京都の山科に建てた山階寺(やましなでら)が起源となっています。
その後、藤原京、平城京へと移され、今の興福寺となっています。
ですので、平城京遷都の710年が、この興福寺の始まりといわれています。
その後、権力を手にしていく藤原氏の隆盛とともに、この興福寺も今の規模を遥かにしのぐ強大なものになっていきます。
そんな興福寺が現在のような規模に縮小されたのは、
1868年に出された神仏分離令による、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)という仏教を排除しようとする流れからでした。
その結果、興福寺は同じ藤原氏の流れをくむ春日大社に吸収されるような形になってしまったのです。
その時に塀も取り払われ、今のような奈良公園の一部となったのです。
そして廃寺同然となった興福寺では、一時、五重塔や三重塔も売られてしまったことがあるぐらいでした。
それも、塔は燃やして金具類だけを採るためにです。
このような変遷を経て、今の興福寺があるのです。
興福寺の見どころ
絶大なる権力を誇った藤原氏ゆかりの興福寺ですので、多くの貴重な建造物や仏像などがあります。
その中からオススメのものについて、ご紹介していきます!
五重塔、三重塔
夜になって人の出入りもまばらになった境内で、ひっそりと静かにライトアップされた五重塔を見ることができます。
この五重塔は国宝に指定されているのですが、
730年に藤原不比等(ふじわらのふひと)の娘で聖武天皇の皇后であった、光明皇后(こうみょうこうごう)により建立されたものです。
その後、幾度か火災により焼失し、現存するものは1426年に再建されたものといわれています。
そばに立つと大きさが実感できる興福寺の五重塔ですが、高さは約50メートルで京都の東寺の五重塔に次ぐ高さとなっています。
また、興福寺には三重塔もあり、こちらも国宝です。
五重塔と対照的に女性的な柔らかい印象が感じられます。
中金堂(ちゅうこんどう)
興福寺は何度も火災の被害にあっていますが、国宝の東金堂(とうこんどう)や北円堂など多くの建造物は再建されてきました。
ですが、この中金堂だけは、1717年に焼失し、1819年に仮金堂が建立されたまま再建されていなかったのです。
そしてついに、創建1300年を記念して約300年ぶりとなる2018年に、創建時と同じ規模で再建され落慶法要が行われました。
中金堂の規模は、幅が約37メートル、奥行きが約23メートル、高さが約21メートルという堂々たるものです。
当時と木材事情が違うので、カナダやカメルーンの木材も使われているようです。
阿修羅像
興福寺で一番の人気といえば、やはり阿修羅像ではないでしょうか。
興福寺の国宝館に展示されていて、乾漆八部衆立像(かんしつはちぶしゅうりゅうぞう)と呼ばれるものの1つなんです。
乾漆八部衆立像には、阿修羅像の他に、
五部浄(ごぶじょう)、沙羯羅(さから)、鳩槃荼(くばんだ)、乾闥婆(けんだつば)、迦楼羅(かるら)、緊那羅(きんなら)、畢婆迦羅(ひばから)像があります。
いずれも国宝館に展示されているのですが、阿修羅像の姿や表情にも見惚れてしまう方も多いようです。
阿修羅像は「少年の憂いのよう」と表現する方もいるようですね。
一度ぜひ、確かめに行ってみてはいかがでしょうか?
興福寺へのアクセスと見学所要時間の目安
興福寺は近鉄奈良駅からすぐのところにある、大変行きやすい場所にあります。
JR奈良駅からの場合は、徒歩15分程度ですし、市内循環バスを利用することも可能です。
奈良公園の街に溶け込んでいて、ぶらっと散歩コースになりそうな興福寺ですが、
中金堂や五重塔を見て回るだけならば、1時間かかることはありません。
ですが、阿修羅像をはじめとした、多くの宝物が収められている国宝館を見逃すわけにはいかないのではないでしょうか。
国宝館をゆっくりじっくり見学するのであれば、1時間30分くらいが見学時間の目安になるかと思います。
まとめ
興福寺といえば、やはり五重塔と阿修羅像がオススメです。